人魚が流した涙、そんな美しい形容で彩られた海からの贈り物、真珠。パール需要は年々上がり、特に日本産の養殖真珠も価格が高騰しています。
レッドオーシャンの真珠業界ですが、今回のコラムでは複数回に渡り養殖真珠の歴史について解説していくのでぜひ最後までお読みください。
養殖真珠の歴史は日本が始まりではない!?
日本人が真円真珠の養殖に成功した!それはれっきとした事実ですが、実は数世紀に渡るトライ&エラーを繰り返した末の養殖技術でした。
パール=日本のアコヤ真珠がまず頭に浮かぶ、そんな外国の方は多いそうです。それだけ日本が育んできた養殖真珠のカラー、テリなどの美しさに定評があるということなのでしょう。
誇るべきは礎を築いた日本の偉人達ですが、ここでは養殖真珠の歴史を語る際には避けて通れない世界最古の養殖真珠である「仏像真珠」についてを解説していきます。
始まりは中国!養殖された仏像の正体
1907年日本人の西川藤吉、御木本幸吉、貝瀬辰平の3氏により、それぞれ別の方法ではありますが真円真珠の養殖に成功しました。(詳しくはコラム第3回)養殖真珠業界におけるこの3名の業績は非常に大きいのですが、真珠養殖の原点は日本ではなく11世紀の中国まで遡ります。
ただし私達が見慣れている円形の真珠ではなく、いわゆる人の手が介入した半形真珠の一つになります。貝殻に貼り付いて養殖された真珠で、これらを「仏像真珠」(出典: Wikimedia Commons)と呼んでいます。
中国の養殖真珠は文書としての記録も残っており1168年に発刊された文昌雑録には、Yu-Shun Yangが浙江省の菱湖に生息する貝を使った養殖の方法が記載されています。ただしこれは仏像真珠についての記事ではなく、貝付きの半球状真珠の養殖についての記述であり、仏像真珠としての技法はHou-Tchen Fouにより1127年に開発されました。
なぜ仏像なのか?
さて、ここで疑問なのがなぜ仏像なのか?それは真珠が円形ではなく特徴的なブッダの形を形成しているからで、現代風に例えるならばキリスト教のメダイ(※1)のようなものでしょうか。
(※1)キリスト教信者が信仰の為に身に着けたイエスキリスト、聖母マリアなどが刻まれた記念のメダル。
信仰の対象として携帯できる仏具を二枚貝に見出したというわけです。これらはパンチのように貝殻から切り取られお守り代わりに携帯されるか、または装飾用品として貝殻に付着したままの仏像真珠として売買されていました。
仏像と一言でいってもその形、大きさは多用であり、一枚の貝に10以上のミニ仏像を有するものも現在に伝わっています。立体的なブッダが貝に浮き上がるようにして現われる、非常に神秘的な養殖真珠の原点がそこにありました。
仏像真珠はどう作る?その手順について
日本の真珠養殖技術は確かに目を見張るものがありますが、世界で初めて養殖に成功し、そして商業的に量産されたのは中国の技術であり仏像真珠そのものです。
非常に目新しく見える仏像真珠ですが、その養殖についてはまさに現代の養殖プロセスの「挿核(そうかく)」(※2)に類似しています。簡単にその手順について解説していきましょう。
(※2)貝の生殖層の中に核とピース(外套膜を切除しカットしたもの)を挿入する作業。
1. 十分な大きさの様々な種類の淡水産二枚貝(カラス貝など)を用意
2. 挿核用の核として鉛でできた原版である「仏像形」を挿入する
3. 核である「仏像形」の周りに真珠層が形成される
このステップを踏み仏像真珠が作られますが、あくまで核のみの挿入であり、パールサック(真珠袋)を形成しない為、完全には養殖真珠とは言えないかもしれません。しかしながらこの中国由来の仏像真珠が養殖真珠の元祖として捉えられていることは事実で、そこから500年以上の停滞期を経て欧州で多くの養殖技法開発が行われるようになるのです。
なお清朝が滅亡しこの技術も失われかけましたが、現在はマベ貝などを使用し、異なる形の核を外套膜の下に挿入した半形状の養殖真珠が作られています。また中国の養殖真珠のパイオニアであるYu-Shun Yangを偲ぶ寺院も建てられており、私達が御木本幸吉に畏敬の念を覚えるのと同様に崇められています。
中国から欧州へ!仏像真珠がヨーロッパにもたらしたもの
共和制ローマの政治家であり英雄のジュリアス・シーザーは希少な真珠の所有について、法律でその取り扱いを制限したと伝わります。そしてクレオパトラは真珠を溶かした葡萄酒を振舞い、この世で一番豪華な宴を開催したそうです。
古来から人々は真珠の美しさに価値を見出し、そしていつしか「人の手で自然が織り成す真珠を作り出せないのか?」という錬金術さながらの幻想を抱くようになるのです。
18世紀に始まった欧州での養殖トライ
欧州ではアジアに渡った宣教師たちが持ち帰る文化、芸術の一つとして養殖真珠が知られるようになり、1500年頃には様々なアプローチ、研究がヨーロッパで行われるようになります。
そして1735年に神父アントレコールにより仏像真珠がフランスに紹介されると、その研究は最も活発になりました。西欧では存在し得ない神々しいブッダを携えた仏像真珠は、欧州で大きな話題となり、その養殖方法をまとめた本も出版され、中国で行われたのと同様の方法で養殖にトライしますが失敗。
ラボレベルで真珠層を持つ半形真珠は確認されても、結局のところ仏像真珠ならぬ、西洋版のマリア真珠もしくはイエス・キリスト真珠のような代替品は作られませんでした。日本の成功を待つまで、宝飾業界で利用できるような質と量の養殖真珠は登場しない苦難、鍛錬の時代に突入するのです。
カール・フォン・リンネが制作した養殖真珠
西洋人が求めたのは半形真珠ではなく、まん丸の真円真珠の養殖でした。前述でも紹介した通り、その開発技術が多くの成功例と共に立証され始めたのは19世紀後半から20世紀初めの日本。
しかし18世紀のスウェーデンでも真円真珠養殖の方法を考えた人物がいました。皆さんも聞いたことがあると思いますが、生物分類額の父と言われたカール・フォン・リンネ(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)です。当の本人は「ゴールドを作ろうとする人はいるが、真珠の養殖など聞いたことがない」とネガティブな意見を述べていたそうですが……。
彼がトライしたのは当時の画家がパレット変わりにしていたムール貝の一種。中国の仏像真珠の手法を参考にして、外套膜と貝殻の隙間に石灰岩の小粒を挿入しました。外套膜をピースとして使うことは勿論なく、その当時信じられていた砂粒が真珠を作り出すという俗信にもヒントを得たものでした。
リンネの真珠養殖の結果は?
6年の歳月を経て、ブリスターパール(※3)のように貝殻に接着することなく遊離する半形真珠が完成します。歴史的な真円真珠養殖の誕生は大きな富と宝飾業界の発展に寄与すると考えられ、スウェーデン王から称号を与えられました。しかし結果としてこの手法では商業的な成功は一切認められず、リンネが描いた夢は波にさらわれてしまいました。
(※3)貝の体内に生成した天然真珠が貝殻部に接着したもの。
このリンネの真珠はその技術自体が不完全で量産ができず、実用向きの養殖ではありませでした。展示されているパールを見てもテリやカラーが不均一でクオリティーが低いことは否めません。彼の実験は養殖真珠の歴史においては完成された形ではなく、一つのマイルストーンと言えます。
リンネの真珠についてはロンドンのThe Linnean Society of Londonにて展示されているので、気になる方はぜひ現地で見学してみるといいでしょう。
まとめ
養殖真珠の歴史に関してまとめると以下のようになります。
- 11世紀中国の「仏像真珠」が養殖真珠の最古と言われている
- 「仏像真珠」とは鉛の原版を核として挿入した半形状の養殖真珠である
- 18世紀、宣教師により欧州へ仏像真珠の技術・方法が伝わる
- リンネが真円真珠の養殖に成功するが、その方法は実用的ではなかった
- 日本人の真円真珠養殖技術が始まる19世紀終りまで商業的な養殖はなし
今回のコラムでは真珠袋形成を伴う養殖ではなく、より古典的かつ興味深い歴史から養殖真珠の軌跡を振り返ってみました。
点と点が線になるように繋がっていく真円真珠養殖の歴史と仏像真珠の因果関係。長い歴史の中で多くの科学者が完璧な養殖を夢に見ましたが、19世紀終りまでは完成された真円真珠の養殖は不可能でした。
仏像真珠から始まった人類の養殖物語、今後はよりよいクオリティーのテリ、マキを持つ真珠の養殖が望まれますが前途多難な未来が私達を待っていることでしょう。
次のコラム:養殖真珠の歴史を振り返る!人々が求めた叡智への旅【2】
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