一言では語れないマットなゴールドの質感とクラシックな技法によるゴールドワーク、イタリアが誇る最高メゾンと呼ばれるGinamaria Buccellati(ジャンマリア・ブチェラッティ)。
創業100年を超える、古典派スタイルで圧倒的なファンを持つBuccellatiを今回は徹底解剖していきます。
イタリアンジュエラーの巨匠ブチェラッティ!古典技法が紡ぐ未来への挑戦
イタリアのジュエラーと言えば、カステラーニに始まり、ブルガリ、ピキョッティなどの宝飾ブランドが国際的な名声を浴びていますが、金細工師の王様と形容されるBuccellatiも忘れてはなりません。日本ではそれほどポピュラーではありませんが、Buccellatiはイタリアを代表する有名ブランド。
ブランド創設者Mario Buccellati、そして4人の子どもたちによる異なる経営方針、戦略を打ち立てて発展してきたそのブランドの魅力と、複雑なBuccellati家の軌跡をここで解説していきます。
品格のジュエラー、ブチェラッティの歴史
Buccellatiの設立は1919年、100年を超す歴史があるイタリアの宝飾ブランドです。
Mario Buccellatiがその創設者として知られますが、その起源は18世紀中ごろにMarioの先祖である金細工師Contardo Buccellatiにまで遡ります。Marioはミラノにある高名な宝飾メーカーであるBeltrami&Beltramiで修行を始め、その後に買収し引き継ぐ形で、新たなブランドBuccellatiとしてスタートを切るのです。
Marioが残した質感のある絹のようなゴールドワークは、ブランドの代表として欧州各国の王室や枢機卿に愛されるようになります。現在イタリアで最もハイエンドで重要なブランドとして位置づけられており、日本でもそのファンは少なくありません。
ここで簡単にその時系列を見ていきましょう。
1919年:ミラノに店舗を構える
1925年:ローマ支店開業
1929年: フィレンツェ支店開業、長男Gianmaria が生まれる
1953年:ニューヨークに出店
1965年:Marioが亡くなり、息子4人による分業体制がスタート
初代を支える子どもたち
Marioの死後は5人の息子のうち、4人が父親の家業を継ぐことになり、Marioが構築したデザイン、技法は全て息子たちに継承されます。しかしながら大家族による一族経営が故に、Buccellatiというブランドは枝分かれし、複雑なメゾンに生まれ変わるのです。
まずLorenzoがミラノ、フィレンツェを継承、Federicoがローマ店を守ります。なおFedericoは後に、Federico Buccellatiとブランド名を変えて再出発することになります。
一方でLucaとGianmariaはニューヨークの店舗を担当し、特にLucaはシルバーウェアラインの充実を図りますが、Lucaが1985年に死去するとその息子Marioが経営に参画。関わる子孫の数と分業体制の細分でブランドが複雑化していきますが、1990年代にはアメリカ市場が大きく盛り上がります。
パリや東京、大阪など各地に店舗が出来たのもこの時期であり、大げさかもしれませんがBuccellati王朝の快進撃が続くのです。現在私達がBuccellatiのジュエリーってステキよね!と思うのが、実はこのアメリカに進出したLuca&GianmariaによるBuccellatiだったのです。
なおGianmariaに関してですが、数人の宝石鑑定士と共に1973年、イタリア宝石鑑定研究所を創設し、イタリアの宝石学発展に大きく貢献していることも付け加えておきましょう。
Buccellatiが愛される理由と特別な金細工技法
ここではBuccellatiが紡ぐジュエリーのデザイン、そして消費者にアピールする製品ラインを少し踏み込んで解説していきます。
Buccellati、ジュエリーの特徴
初代Marioが紡ぎ、家族に伝えられたその技法は他のジュエリーブランドとは異なる一種独特の技法が用いられています。
彼らのデザインは石が主役にならない貴金属に主体を置いたデザインが特徴です。イタリアらしい動植物やロカイユ(※1)を思わせる優雅なカーブライン、エトルリア(※2)を思わす撚線(よりせん)細工にアンティーク調のゴールドの艶……。一目でこれはBuccellatiの作品と分かる古典的な技法に、飽きの来ないデザインは金細工のプリンスと呼ばれた初代Marioから受け継いだ伝統伎。
(※1)貝殻、小石などのモチーフを特徴とするヨーロッパの 18~19世紀の装飾様式。
古代ローマや15~16世紀のルネサンス期、またはアールヌーボーなどの特徴を独創的にミックスし、時代のニーズを汲みながらもハイエンドなジュエリーに加え時計制作にも定評があります。
その例を挙げると、ファブリックのドレープを表現したかのような艶のある貴金属の質感でしょう。また彫金に関しても古のフィレンツェ彫りが特徴で、テクスチャ―のある貴金属をなぞるように優美なラインで彫りを加えています。また繊細な金糸、銀糸を繋げたようなハチの巣状のオープンワークは、まるで上質なベネチアンレースを思わせるデザインです。
(※2)紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群。最盛期には高度な金細工が発達。
一族で初めての女性デザイナーの台頭
Gianmariaの尽力により世界的メゾンに成長したBuccellatiですが、2015年にGianmariaの孫娘であるLucreziaがブランド初の女性デザイナーに就任。これはディテールの魔術師と呼ばれたBuccellatiにとって新しい風でした。
それまでにも動植物をモチーフにしたオブジェやカラトリーも発表してきましたが、Lucreziaの女性目線のデザインによりブライダルラインを導入。クラフトマンシップを保ちながら、より消費者にアピールするプロダクトを発表しました。
またバンブーとシルバーの融合によるテーブルウェアなど名門ジュエラーらしからぬ斬新な商品も話題を呼びましたが、最も話題を呼んだのが世界で最も高額と言われるIphone/Ipad ケース。レオナルドダヴィンチの太陽を思わすサン・バーストデザインを、Buccellatiらしい滑らかな金属光沢と彫りで放射状にデザイン、まさに圧巻の伝統伎。
気になるゴールド&ダイヤモンドを散りばめたゴージャスケースのお値段は、IPadが485,000$(約5,300万円)、IPhoneが208,000$(約2,280万円)ということです……。なおこれらの作品はLucreziaの処女作となりました。
中国企業からブシュロン、ヴァンクリを抱えるメゾン参入へ
Buccellati王朝の核であるGianmaria Buccellatiですが、他の有名宝飾メゾンと同じ運命を辿るべく投資グループの手に渡り、2013年にはClessidra Fundが7割弱の株式を購入。その後は中国のGansu Gangtai Holding Groupに売り渡され、アジア市場の開拓に成功します。
そして記憶に新しい2019年にはRichemont傘下になり、創業100年の門出を祝うことになるのでした。
ただし注意してほしいのが、ブランド買収劇が見られたのはアメリカで展開しているGianmaria によるBuccellatiであり、イタリア本家筋のFederico BucchellatiはRichemont傘下にならず独立したブランドとして展開しています。
まとめ
Buccellatiに関する特徴をまとめると、
- Mario Buccellatiが1919年に創業
- ディテールの魔術師と呼ばれるゴールドワーク
- Marioの死後は4人の息子達が分業体制で参画
- アメリカに渡ったGianmaria によるBuccellatiは現在Ricchemont傘下
- ローマのFederico Buccellatiは現在も独立して経営
イタリア国内の手仕事の細かさを継承することに注視したLorenzo、Federico、そしてアメリカに渡ったLuca、Gianmaria……。それぞれが先代の技法、伝統を守ると共にブランドとして別の道を歩むようになりますが、初代Marioの金細工へのこだわりとスキルは今もブランドの根底に息づいています。
日常用ではないティアラや煙草ケースなど伝統的な芸術作品はもとより、婚約指輪などデイリーピースとしての製品ライン充実も今後は期待大ですね!