
養殖真珠のターニングポイントになったのが、真円真珠の養殖の試みが盛んになった19世紀。そして、その試行錯誤が実を結んだのは1900年代初めの日本でした。今回の記事では真珠の養殖を牽引することになる日本人3名の活躍、背景にある歴史舞台についてを解説していきたいと思います。
養殖真珠の歴史を振り返る!連載コラム
【3】真珠の歴史を振り返る!「日本人が開発した真珠養殖」編(現在の記事)
日本人が開発した“真円”真珠の養殖技術
真珠の美しさに惹かれた人々が追い求めたのは「完全な球体による真珠の養殖」でした。真珠養殖理論についてはドイツやフランスなどの欧州諸国が盛んに研究を進めましたが、肝心の養殖は日本が牽引することになるのです。
真円真珠の養殖に成功した3名の日本人
養殖真珠の歴史の中で「半円形の真珠」の養殖は過去に成功していますが、真円真珠の養殖は困難を極めました。19世紀のヨーロッパでは真円真珠の研究が活発になり「真珠袋(※1)」が養殖のカギになることが判明します。
この理論を元に真円真珠の養殖に成功したのが西川藤吉(にしかわ とうきち)と見瀬辰平(みせ たつへい)、そしてMIKIMOTOの創始者である御木本幸吉(みきもと こうきち)です。
(※1)外套膜の上皮細胞が細胞分裂を起こして形成され、 真珠袋は真珠層を分泌する。
養殖成功までの年表
1907年に真円真珠開発の理論が導き出されましたが、その成功の裏には多くの試行錯誤がありました。日本が養殖に成功した真円真珠の軌跡を分かりやすく年表にしてみましょう。
- 1893年:御木本幸吉が半円真珠の養殖に成功
- 1905年:御木本幸吉が真円真珠の養殖に成功
- 1907年:見瀬辰平が《貝の外套膜を切り出した細胞組織を、貝の体内に移植し真珠袋を作る技術》を開発して特許取得。西川藤吉も真円真珠の養殖技術に関する特許を申請し、両者の間で争いが生じる。
- 1917年:西川藤吉による「ピース式」が特許取得
- 1919年:御木本幸吉による「全巻式」が特許取得、同年ロンドンで養殖真円真珠の販売を開始
- 1920年:見瀬辰平による「誘導式」が特許取得
仏像真珠に代表されるブリスターパール(※2)が養殖されることはあれど、完全な真円真珠が養殖されることはなく、1900年代初頭は真円真珠開発のアニバーサリーとも言えるのではないでしょうか。
MIKIMOTOのブランドネームが強く印象にあるため、「養殖真円真珠=御木本幸吉の功績」とされがちですが、同時期に異なるプロセスで養殖に成功した西川藤吉、見瀬辰平も真円真珠開発のパイオニアであることはいうまでもありません。
(※2)母貝の貝殻部に張り付いてドーム状に形成された真珠。
真珠養殖を成功させた3つのアプローチ

真珠大国として知られるようになった日本ですが、前述のように西川藤吉、見瀬辰平そして御木本幸吉はそれぞれ異なる方法で真珠養殖に成功しています。ここではそれぞれの養殖プロセスを解説していきたいと思います。
① ピース式(西川藤吉)
外套膜の一部を貝の内部に移植する方法。外套膜(ピース)が細胞分裂を起こし真珠袋を形成する。
② 誘導式(見瀬辰平)
外套膜を含む上皮細胞を核になる物質に付着させ、貝の内部に特殊な注射器で送り込む方法。
③ 全巻式(御木本幸吉)
核として利用する貝殻全体を外套膜で包んで貝の内部に移植する方法。
外套膜を貝の内部に挿入する点はそれぞれ共通しています。これは1858年にドイツの動物学者ヘスリングが発表した「真珠の形成には真珠袋が必要不可欠になる」という理論に沿ったものです。つまり真珠層形成機能がある外套膜上皮細胞を挿入したからこそ、真珠を人為的に養殖できるようになった訳です。
御木本幸吉は、まず様々な形状の核を貝の内部に挿入するという方法から始め、試行錯誤を繰り返した末に全巻式の養殖方法を開発しています。一方で西川藤吉と見瀬辰平は当初からヘスリングの理論を元にした研究をしており、着眼点に関しては御木本幸吉よりも先見の明があったのかもしれません。現在は作業効率に優れた西川藤吉の「ピース式」が養殖真珠の基本技術として引き継がれています。
疑われた養殖真珠の価値とパリ裁判

真円真珠養殖の根本となる技術が開発されたのは1907年頃。日本で養殖された天然とほぼ変わらない養殖真珠は海を渡り欧米へ輸出されるようになりました。しかし、そこでは思いもよらない疑いの目が向けられることになります。
MIKIMOTOの「パリ裁判」とは?
1913年、御木本幸吉が養殖に成功した養殖真珠がロンドンでデビューを果たします。「天然とほぼ変わらぬ品質でありながら、天然よりも低価格」ということで、ロンドンのみならず欧州の宝飾市場に大きな影響を与えました。しかし、東洋の小国から登場した「養殖真円真珠」には疑いの目が向けられます。
もちろん養殖真珠の価値を認めている識者やメディアも存在していましたが、ロンドンの新聞各紙では『日本の真珠商人が扱っている養殖真珠は天然真珠の模造品であり、それを売るのは詐欺商法だ』など酷評の的になりました。その懐疑の目と反抗運動はパリにまで飛び火して裁判にまで発展していきます。これが宝飾史でも大きな関心を呼ぶことになる1924年の「パリ裁判」です。
パリ裁判は日本の御木本が訴訟したものではなく、当時のパリMIKIMOTOの支配人であるポールが賠償を求めるために行われました。「御木本の養殖真珠が“模造品”として扱われたこと」そして「輸パリMIKIMOTOが入しようとした養殖真珠の持ち込みが許可されなかったこと」に対して起こされた裁判です。
御木本の養殖真珠が炎上した理由
御木本の養殖真珠はいわゆる“格好の炎上案件”として、宝飾業界だけでなく世間を騒がせるようになりました。「養殖真珠が天然真珠の価値を揺るがすことはない!」と主張する者もいれば、一方で、流行りに便乗して「御木本の真円真珠」を謳って模造真珠を販売する者もいたそうです。
国をまたいでこれだけの騒動に発展した理由としては、以下の点が挙げられます。
- 今までに真円真珠が養殖された前例がなかった
- 真珠袋を発見したヘスリング※3は真円真珠の養殖に懐疑的だった
- 天然とほぼ変わらないテリ・色合いにもかかわらず2割以上安く販売されていた
- 日本の養殖真円真珠によって天然真珠の価値が脅かされることを恐れていた
- “半円”の養殖真珠が天然とも模造とも異なる位置づけで販売されていた
(※3)19世紀ドイツの動物学者。真珠形成には真珠袋が必ず存在し、真珠は真珠袋の分泌作用によって形成されると唱えた。
なお国によっても養殖真円真珠に対する反応は異なったようで、欧州の中でネガティブに捉えた国はイギリスとフランスの2カ国であり、その他の国では好意的に迎えられたケースがほとんどでした。
パリ裁判はどう決着がついたのか?
天然真珠と変わらぬ色合いとテリそして真珠層を持つ養殖真珠。唯一の違いは、中心に存在する核が「天然で偶発的に混入した」のか「人為的に挿入されたか」だけであることは科学的にも論証されていました。
しかし、裁判で勝ち取ったのは「天然と変わらぬ真珠である」という証明ではなく、「養殖真円真珠を天然とは異なる模造品と判断するには十分な証拠はない」という見解止まりでした。とはいえ模造の疑いは晴れたというわけです。
それでも「養殖真珠は模造ではないが、天然真珠には劣る。養殖真珠は“中間物”として許容するべき」などの論争があり、裁判も蒸し返すように起こったそうです。しかし養殖工程が明らかになるにつれ、「真円真珠は養殖できない」という通説は徐々に崩れていくことになりました。
まとめ
- 見瀬辰平、西本藤吉、御木本幸吉が異なる方法で真円真珠を養殖
- 御木本幸吉が初めて真珠真円養殖に成功
- 1907年に真円真珠の養殖プロセスが確立する
- 現代の養殖技術の基盤になっているのは西川藤吉による「ピース式」
- 養殖真円真珠に懐疑の目が向けられパリ裁判が行われた
日本が今も養殖真珠業界を牽引しているのは事実です。しかし、パリ裁判が起こった当時、養殖真円真珠は採苗から浜揚げまで5年弱もの歳月をかけ、真珠層の厚さを1.5ミリ程度にまで形成させていました。しかし現在では、養殖期間が最も短いもので半年程度であり、真珠層の厚さも0.2ミリ程度しか無い養殖真珠も存在します。
当時の感覚からすれば、現在の養殖真珠は本物の天然真珠とは認定されなかったかもしれない、そう考えると何だか悶々としてしまいますよね。
とはいえ、人類の夢の1つであった真円真珠の養殖を可能にした3名の日本人、見瀬辰平、西本藤吉そして御木本幸吉の功績は大きなものです。真珠は人魚が流した涙であるという伝説も伝わりますが、実際は日本人3名による想像を絶する努力の結晶でした。
3回にわたって連載した「養殖真珠の歴史を振り返る!」シリーズはこれで最後となります。天然真珠と養殖真珠の垣根が徐々に無くなり、当たり前のようにパールジュエリーに養殖真円真珠が利用される昨今ですが、このように養殖真珠の歴史を紐解いていくと、手元のパールネックレスやリングを見る目も変わりますよね。
最初のコラム:真珠の歴史を振り返る!「世界最古の養殖真珠」編
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